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日本画 吉岡堅二

吉岡堅二

吉岡堅二は、1906年に生まれた日本画家です。法隆寺金堂壁画の再現模写なども行ったことでも知られており、若くして才能を開花し、日本の美術界に大きく貢献した人物であると知られています。吉岡堅二は、東京の本郷で生まれ育っており、父はあの日本画家吉岡華堂としても、広く知られています。幼い頃から、絵画への深い興味を持ち合わせており、絵画で行きて行くことを心に決めていました。その後、本格的に絵画を学ぶために、野田九浦に師事をしていきます。父の遺伝子を継いでいたのか、若くしてその絵画の才能を認められていく吉岡は、20歳という若さでありながら「松上白鶴」が第7回帝展に何と初入選を果たします。ここから、徐々に吉岡堅二の名前が広く知られるようになっていき、何と24歳の若さながら、第11回帝展に出品する「奈良の鹿」が、特選を受賞することになるのです。藤田嗣治の友人である、洋画家の高崎剛留守宅を借り住まいして、制作していた事も有名な話です。名前が広く知られるようになった、吉岡堅二ですが、より日本画の新しい未来を切り開くために、福田豊四郎や小松均、さらには山樹社に豊四郎、岩橋英遠など新進気鋭の画家達と新日本画研究会を作って行きます。それだけでなく、さらに高みを目指して行く吉岡堅二は、何と新美術人協会を結成。今迄にない、大胆な構図やフォルムなど、力強い日本画を発表し続けて行きました。そんな、日本画界に革命を起こし続けた吉岡堅二は、高い評価をより上げて行き、後には「楽苑」で、芸能選奨文部大臣賞を受賞したりしました。常に、西洋、東洋を融合させた、全く新しい画風を追求し続けた吉岡堅二は、創造美術も結成するなど、とにかく、フットワーク軽く多くの作品をの押したことでもしられます。中世オリエント遺跡学術調査団としても活躍し、トルコ・カッパドキアの調査なども行うなど、日本内外でも活躍しました、斬新な画風を絶妙な繊細さで作り上げた天才吉岡堅二。彼の功績は、まだまだ日本で語り継がれて行くでしょう。